断捨離の日々

やましたひでこ著 「それでも私が捨てられなかったもの」を読んで

2016/06/04

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まえがきを読んで

自分を振り返ってハッとする部分がありました。
断捨離の「離」に関する部分ですが、

「捨てる」ことに執着する人が多くなってきたのです。

本来「離」とは執着から離れるという意味だったはずです。それが「捨てる」という行為に執着する。

私自身は「離」とは「昨日までの自分から離れる」ことだと思っていますその結果として自分が執着していたものから離れることができる。
そうすればモノへの執着も生活習慣への執着も手放すことができると思います。

しかし、現実、行動としてはどうしてもモノを捨てることが中心になってしまいます。
いつの間にか「捨てる」ものはないかなぁと探し回る毎日になっていたんじゃないだろうかと感じたのです。
気を付けないと「捨てる」という生活習慣への執着が芽生えてしまうかもしれません。

昨日までの自分を顧みて、モノや生活習慣に執着していないか一歩離れてみるように気を付けていこうと思います。

まぁ私としては「捨てマニア」とか「捨て変態」まで入っていないとは思うのですが(^^;)

そんなことを感じていると

いいじゃない、欲しければ手に入れればいい。
いいじゃない、飽きたなら手放せばいい。

とありました。

少しホッとしました。
断捨離のパイオニアのやましたさんでも物欲は否定しないんだ。

身の周りの不要品は処分しても、必要と感じたものは買っていいんだ。
で、要らなくなったらまた処分すればいいんだ。
そのサイクルを否定しなくていいんだ。

昨日までの自分は不要と思っていても今日も同じ考えである必要はない。
自分で思っていた「昨日までの自分から離れる」という考えは間違っていなかったと感じました。

 

断捨離ストとミニマリスト

わたしはこの本を読むまではやましたさんはミニマリストだと思っていました。

しかし本編を読み進めていって分かったのですが、やましたさんは決してミニマリストではありませんよね。
確かに身の回りには洗練されたものや少しランクの高いものをそろえてはいますが、限界までモノを持たないという主義ではなさそうです。

この本でやましたさんが紹介してくれたものの大部分が私にとっては「生活には不要なモノ」です。

つまり、「断捨離する」は「ミニマリストになる」の必要条件ではあるけど、十分条件ではない。ということが言えそうです。

元祖断捨離ストのやましたさんがミニマリストではなかった。

ちょっと衝撃でした。

 

はたして私の向うべきはどこにあるのか?

断捨離生活を過ごせばいい?
ミニマリストを目指す?

悩むところです。

どちらも生活にゆとりを持つことが目標であり、その方法も同じでありながら、終着点は異なる。

わたしはどこまで行ったら満足できるのか?

しかし、私の心の中では「生活に不要なモノはいらないんじゃない」と結論が出ているような気がします。
つまり、目指すはミニマリストです。

限界まで身の周りのものを減らし掃除も簡単にできるようにし、着るものも洗濯が間に合う程度に持っていればいい。
出来たら、料理も洗い物が少なくなるように簡単なものにしたい。
人付き合いも最低限でいい。

と書き出していたら、ただのずぼらになりたいだけのような気がしてきました。
そうかもしれない。
ミニマリストになったらずぼらな生活が送れそうだから、それに憧れているのかも。

まだ、断捨離の道半ばなのでいざミニマリストになったらどんな生活が送れるのかわかりません。
なってみなければわからないこともあります。

よし。まずは断捨離。目指すはミニマリスト。で、失敗したと思ったらまたモノを買い足そう。

結局本にあった通り、欲しかったら買えばいい。という結論に落ち着きました。
長文、失礼しました。

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